ゆとり教育は基礎学力の上に成り立つ 教育の真髄を聞く

 瀬戸内海を見下ろす坂の上に立つ尾道市立土堂小学校。作家の林芙美子も輩出した創立百年を超える歴史ある小学校である。
 兵庫県朝来郡の山口小学校の一教師だった陰山英男先生は、四五歳の時、実践校公募に応えて尾道市土堂小学校の校長に就任した。政府が打ち出した学習指導要領改正における「ゆとり教育」に抗して、「百ます計算」や一年間の漢字学習を一ヶ月で教えるという独自の陰山メソッドを展開していた陰山先生の教育哲学を聞いた。


子どもが子どもらしくあるためには、大人が大人らしく

――陰山先生はもともとアナウンサー志望だったとか。
陰山 そうなんですよ。落ちた時、本当にショックで。でも、その当時、アナウンサー学校の先生に出した手紙に、「久米宏にはなれなかったから、ニュースステーションで、久米宏の隣に座って、インタビューされるような人になる」と書いていたそうですよ。

――そうなりましたね。尤も、はじめは「でもしか先生」だったとか。今のような使命感を持って取り組むようになられたきっかけは?
陰山 最初は、友だちみたいな教師だったんですよ。でも、何だかうまくいかない。本来大人は子どもより多く生きている分だけ何かあるはず。それが区別がなくなってきて、むしろ大人が子どもに媚びている。それはまずい、と思いましたね。

――大人の権利だけを享受して、責任は果たそうとしない。大人も甘やかす。
陰山 カラオケ行きたい。酒、タバコ飲みたい。化粧したい、というのも、そういう表れですね。

――そして、きっかけがあった?
陰山 いくつか局面がありますが、教師になって六、七年目ですが、宝塚から転校してきた子がいたんです。両親が離婚して、母親の故郷に戻ってきた。おかあさんは、子どもに負い目を持って、甘やかしてしまった。離婚したんなら後悔なんてするな、と言いたいんだけれど。それで、僕が受け持つようになって、半年かかりましたけれど、突然宿題を持ってくるようになり、字もきちんときれいに書くようになった。当然成績も上がってきたんですよ。ところが僕が転勤したためにそこで別れてしまった。また、しばらく経った時、その子が交通事故で死んだ、と電話がかかってきましてね。不登校気味になって、おかあさんに怒られて家を飛び出して、ダンプに轢かれた、というんですね。そのお通夜に出かけていったんですけれど、その子の棺の上にテレビゲームが置いてあったんですよ。最後までおかあさんはわからなかったんだ、って。この子は、テレビゲームなんかしたくなかったんすよ。おかあさんに、バシッと言って欲しかったんです。子どもが子どもらしくいるためは大人が大人らしくいなければいけないんですよ。悔しかったですね。
 もうひとつ、ちょうど国鉄が民営化する時で、おとうさんが組合活動をしていた子がいたんです。仕事も子育ても非常に熱心な方でした。その方がある日、過労死をなさったんですね。その子は、あまりのショックにその日から学校に来なくなったんです。十日ぐらい経った日に突然やってきんです。どうして来ることができるようになったのか、おかあさんに伺ったら、どうやら、おとうさんが、その子の夢枕に出てきて、「学校に行かなくちゃいけないよ」と言ったらしいんです。あの時に、父親と言うのは、死んでも父親でいなけりゃいけないのか、そのすごさを感じましたね。やはり、子どもというのは、そういうエネルギーに支えられて成長していくもんだなと思ったんですよ。
 おまけなんですが、その後、その子のおかあさんは生活保護を受けられる、ということになったのですが、それを断られましてね。お上からお金をもらって、それで家族旅行に行くとなると気がひける。何とかやっていく自信があるからと言って、受け取られなかったですね。そういう大人としての誇り、プライドがすごく大事だし、そういうものが忘れられていることが、今の日本の社会をおかしくしている、と思いますね。

――大人になる、親になる、ということは人間としての誇りを持つということとイコールであるべきなのですね。

ゆとり教育は基礎学力が備わってこそ実がある

陰山 教師のプライドは何か、と考えた時、やはり勉強でしょう、子どもを伸ばすことでしょう。そのことに応えてはじめて教師は教師としてあるのではないのか、と、そういう問いかけはしましたね。

――『自発性を重んじる』という言葉を、今の教育,日本全体がはきちがえていますからね。
陰山 「やりたいことをやれ」っていうでしょう。「やるべきことをやってからやりたいことをやれ」ですよ。やりたいことを見つけるための基本的なプロセスを経ていないから、やりたいことも見つからないんですよ。

――ニートがこれだけ増えていると言うことも、そういう積み重ねをしていないからでしょうね。
陰山 そうだと思いますよ。最近、よく「教育はサービス業だ」なんていうじゃないですか?それで至れり尽せりして、学校を出た途端、誰も何もしてくれない、これじゃ無理ですよ。教育は自立だと言うじゃないですか。自立するためには我慢してがんばらなければならないこともある、それをがんばらないでいいようにしているのだから、自立できっこないですよ。

――政府の打ち出した「ゆとり教育」というのも、本来、教育はどうあるべきか、から出発したのではなくて、対症療法的に出てきているのが問題ですね。ところで「百ます計算」はとても有名になりましたが、長年の実績から考え出されたことなんですか?
陰山 百ます計算自体は僕が考えたものではないです。活用しているだけです。十数年前に一度、ブームになりかけたことがあるのですが、その時は、落ちこぼれ対策として利用したので、いったんは広がりかけたんだけれど、計算の苦手な子に急にさせて,逆効果になる例なども出てきてしぼんでしまったんですよ。

――今の教育の閉塞状況の中で、先生が実績を示されたことで、一気に注目を浴びたんですね。
陰山 土堂に来た最初の頃は、いろいろ批判されましたよ。家庭のあり方が大事、だと説いたので、勉強が出来ないのを家庭のせいにして、税金泥棒、とまで言われましたよ。

――そんな批判が出ると、教師や保護者の間で動揺はなかったですか?
陰山 あまりなかったので助かりました。尤も、当時は、となりの小学校の先生の自殺があったり、あらゆるところで行き詰まっていましたから、とにかくこのプロジェクトを成功させなければ、ということで必死でした。僕への皆の期待は、子どもを伸ばし続けることだ、山口小学校で悩んだり苦しんだりしてやってきた実績があるのだから何とかなるだろう、自分に負けなければ誰にも負けない、必ずやれる、と腹をくくってかかりました。自己宗教ですよ(笑)。

――そうした気概は周囲に伝わりますね。
陰山 PTAの会長さんは、企業の経営者の方なんですが、いろいろな会合での枕詞に必ず、「我が誇りに思う土堂小学校の子どもたちと先生」と言って下さるんですよ。そうしたら、皆背筋が伸びるでしょう。

――今、先生が自信を失っていますものね。先生を支えて自信を取り戻していただかないと子どもたちも救われませんよね。
陰山 そうですよ。でもね。学力が低下した、とよく言われるけれど、そんなに心配することないんですよ。実際は伸びています。確かにOECDの調査では二〇〇〇年から二〇〇三年で学力が落ちた、という結果が出て騒いだんですが、日本の学力定着度状況調査というのをやったんですが、これでは学力はあがっているんですよ。OECDが年度初め、日本の調査は年度の終わり。一年であがるんですよ。

――いい結果はなかなか報道されませんね。
陰山 そう。でも、悪い結果もあるんです。一つは校内暴力の増加。もうひとつは教師のノイローゼによる不登校です。無理に勉強させたらこういう問題が出るからできない、ということで手をつけられなかったんです。

「早寝・早起き・朝ご飯」と「読み書きそろばん」で体力・学力ともにアップ

――でも、どうにも行き詰まって陰山先生登場ですね。
陰山 日本には各地でがんばっている先生はたくさんおられると思いますが、広島県ではとにかくやってみろ、ということでやっただけですよ。そのモードにさえ入れば、子どもはすぐに力を伸ばせますよ。

――その場合のもうひとつの原則が「早寝・早起き・朝ご飯」ということをおっしゃっていますが、体力も落ちているんですよね。
陰山 そうです。二十年前から体力は低下モードに入っています。これを放置してきたんですよ。うちでは、体力も全国平均を上回り、学力も全国でトップクラス。受験で言えば、この付近ではありえない結果も出しました。

――実績が物語っていますね。
陰山 勉強も一生懸命、掃除も一生懸命、スポーツも一生懸命でいい結果が出る。子どもも褒められ自信もできていい循環になってみんなハッピーですよ。お金もそうかからないわけですし。

――昔からのシンプルな話なんですね。ただ、こういうことは家庭との連携が大事ですが、どういう働きかけをしておられるんですか?
陰山 「早寝・早起き・朝ごはん」を励行して下さい。テレビの視聴時間を減らして下さい。一週間に一度は家族団欒でいろんな話をして下さい。これだけです。

――シンプル!(笑)それで結果が出た。でも、こういう実績が全国に広がるにはまだまだ時間がかかりそうですが。学力を上げるには塾に行かないと、という動きも変らないですよね。
陰山 個々の子どもがばらばらに力を出してレベルが上がるより、全体としてきちっと同じ方向で変える、ということが優先されるからです。それと、みんな調べないで言われたことを鵜呑みにしています。

教師の仕事は精神作業、だからこそ教師にプライドを

――マスコミに振り回されないようにすることですね。そのためには、一人ひとりが教育や次世代をどう育てるかについてもう少し真剣に考えるべきですね。ところで、日本全体の道徳力というものも低下していると思いますが、先生は、子どもたちにどういうふうに教えておられますか?
陰山 二つのことを教えています。まずはじめに強い心を持とう。そして自立できたら、それを人と分かち合うためにやさしい心を持とう。そのために三つのことを実践しよう。怠けない。人の心と身体を傷つけない。そうは言っても間違いは犯すこともある,その時は嘘をつかない.。

――これもシンプルですね。
陰山 そう。ですから、子どもたちも教師も、最近では保護者もきちんと言えますよ「強い心、やさしい心」。いつもいつも言い続ける。徹底反復ですよ。シンプルなことを徹底的に反復して完全な定着をはかる。これにつきます。

――そのためには信頼関係をもつことが大事ですね。先生方とはよく話をされるんですか?
陰山 個々にはよく話をします。その場合、できるだけ具体的なアドバイスをします。

――そこは、現場での体験と実績がおありだから説得力も共感もありますね。教師に自信を持ってもらうことがいちばんだと言いましたが、校長先生としてのお役目もそこにあるかと思いますが、心がけておられることは?
陰山 プライドを傷つけないということです。教師の仕事は精神作業なんですよ。勉強も、そのこと自体楽しいばかりではなく、我慢して教え込むことも多いわけです。その時に、これはこの子のために絶対になる、という信念に一分の揺らぎもあってはだめです。ですからプライドこそ武器なんです。

――プライドを持つ先生を育て、また支えていく環境こそ教育には不可欠ですね。百ます計算も、それを活用する先生の哲学と信念、それに裏打ちされた技術があってこそ活きるのだと思います。先生は伝道師のお役目ですね。
陰山 そうですね。後は、日本のリーダーが、信念を持って改革を進めて欲しいですね。

―ゆとり教育に反旗を翻していた先生が、中教審の委員に選ばれ教科書改革のテーブルについた。大臣が土堂小学校にその実践を見に来られた。期待を持てそうですね。
陰山 そう、きれいに掃除をして文句を言う人いないでしょう。主義主張は関係ないですよ。簡単なことをしようと言っているだけなんですから。

――また、教育は学校の先生だけの問題ではなく、私たち一人ひとりの責任が大きいですね。
陰山 そうです。みなさん、何かをする時に、「これは子どもたちに対してどういう影響があるのか、子どもにどう説明できるのか」というものさしを持って仕事をしていただきたいですね。

――先生のいつも言っておられる「一日入魂」。私たちの毎日毎日の積み重ねが次世代を作ることにつながるのですね。シンプル イズ ベストの教育を実践して子どもの可能性をどんどん広げてください。ありがとございました。

(聞き手:社団法人日本フィランソロピー協会 理事長 高橋陽子)

【取材を終えて】
 プロフェッショナルという言葉がぴったりの人である。だからこそ野心家でもある。少年時代、親の苦労を見てきた。それを持ち前の正義感と負けん気でプラスに変えている。「二人のお嬢さんにとってはいいおとうさん?」という質問に、「どんな家庭にもそれぞれ問題も課題もある。先に苦しむな。まずあきらめろ。あきらめてから苦しめ」と言っているそうだ。お嬢さんたちが苦しんでいるかどうかはわからないが、この哲学あるシンプルさが公私ともに陰山メソッドの真骨頂のようだ。

かげやま ひでお
1958年兵庫県生まれ 岡山大学法学部卒。尼崎市内、城崎郡内の小学校をへて、1989年より兵庫県朝来町立山口小学校教諭。この公立小学校で同僚と独自のプログラムによる、音読、百ます計算など、読み書き反復練習による学力向上につとめた。その結果、進学塾もない山あいの公立小学校の卒業生から10年後には、難関大学合格者を多数輩出し、教育界で「山口小学校の奇跡」と呼ばれる。
実践記録をまとめた『本当の学力をつける本』(文藝春秋)は新指導要領「ゆとり教育」に対する不安を感ずる多くの人に読まれ、30万部を越すベストセラーに。その指導方法は「陰山メソッド」として注目を集めている。
2003年4月より広島県尾道市土堂小学校校長に公募制という斬新なかたちで就任。2005年2月より、文部科学省・中央教育審議会特別委員。

2005年08月05日


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ちょっといい話“雨のち晴れ”

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