日本のフィランソロピストたち No.1

これから10回にわたり「日本のフィランソロピストたち」として、社会貢献活動に尽力した人たちを紹介していきます。第一回目は「米山梅吉」です。

 米山梅吉

功なり名をとげることは、人生の前提であって、それだけでは価値はない。そのあと社会奉仕の花を咲かせてこそ、人生の意味がある。

米山梅吉は1868年に生まれ、三井銀行に入行。その後、三井信託銀行設立時の初代社長に就任した。同時に三井グループで報恩会を作ってその理事長として、多彩な社会奉仕活動を行なった事でも知られている。

米山は、「隠居論」という論文の中で「功なり、名をとげた先輩はどしどし退いて若い者に席を譲り、社会奉仕に尽くすべきだ」と書き、自身も社長のポストを惜しげもなく後輩に譲り社会奉仕の道に入った。米山は昭和9年の三井報恩会の創立と同時に、彼の天職とも言うべき、理事長に就任した。満州事変から日中戦争へと拡大する頃、米山は「時代が狂いだしている。今こそ社会奉仕の力が必要だ」と説き、報恩会や教育の事業に専念するようになるが、特に特定農村施設振興事業があった。これは、特別に窮乏のひどい農山村を選び、指導と援助によって更生をはかろうというものであった。この事業の対象となった村の一つに青森県津軽郡西平内村があったが、米山は特にこの村の振興に情熱を注いだ。西平内村は悪村といわれ、財政は破綻し、村の有力者は政争に明け暮れていた。その一方で、不作、凶作が続き、男たちは安い労働力として使われ、娘を売る家も多かった。そういう村が振興村に指定され、報恩会の資金をつぎ込んで「村民の家」が建設され、村農会の活動支援などが次々と打ち出されると、小作人が団結、地主と交渉して一部を自分の田として耕作することが出来るようになった。この結果、それぞれの反収増が実現し、村人達が目に見えて豊かになり村も再生した。

社会奉仕活動を米山の天職とも言うべき、と書いたが社会奉仕活動、「青山評論」の中で彼は、「天職とは神の心を成すに至り、功名利欲の念はこれ天職の賊なり」と記している。米山の思いは社会奉仕にかける人生の価値の高さであり、社会奉仕によって人生を貫徹したい、むしろ、そこにこそ生きる意義があると考えていたのである。

米山はまた、日本で初めてのロータリーを創設し、初代の会長として力を尽くした。また、米山は徹底した平和主義者であり、自費でアジアからの留学生の世話をしたが、この精神を継承した財団法人ロータリー米山記念奨学会に今も連綿として息づいている。(四方洋:日本フィランソロピー協会発行”フィランソロピー入門”より)

2005年08月05日

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