誰もが住みやすく、楽しめる環境を目指して〜環境デザイナー・今井澄子さんインタビュー〜
戦後、急速に都市化が進む中で、経済性や効率性が優先された結果、人間が愛で、暮らし和み、そして交わることが置き去りにされてしまった日本のまちづくり。
今年六月、地域の文化や自然と調和した景観づくりを目的とした景観法が全面施行され、日本の景観問題が、行政、事業者、NPO、市民を巻き込んで本格的に議論されつつある。そこで働く人、暮らす人にとって心地よく、自然環境とも調和できる空間、まちづくりを可能にするには、何が必要なのか。国内外で活躍する環境デザイナー、今井澄子さんにお話をうかがった。
『私』から『私たち』のまちづくりへ
――「環境デザイン」という言葉は聞きなれないのですが、どういう風にとらえたらいいのでしょう?
今井 環境デザイナーとは、人間が快い気持ちになる空間を作っていくために、どうしたいかというメッセージを受け止め、実際に形作っていく。建築家、施工等の役割を担う人に、それを伝えていく通訳者だと思います。どうすれば機能的で使いやすいかという基本的なことは必要ですが、まず楽しいか楽しくないか、好きか嫌いか、というところからデザインしていきます。結局は心地よい場所でなければ意味がないからです。そういう空間を作ることが私の仕事だと思います。
――コーディネーターでもあるわけですね。いい通訳をするためには何が大切ですか?
今井 どうされたいかをきちんと把握し、第一歩は整理整頓から始まります。でも、すべてが整理されている空間が快い空間かというとそうでもない。遊び心、無駄があるとほっとしたりするものです。
――このお部屋も心地いいです!今井さんのこれまでの作品があったり、お花がいけてあったりして。いいさじ加減なんでしょうね。さすが名通訳者。
今井 ありがとう!
――今井さんが手がけられた日比谷駅構内のラッピング広告はとても素敵で楽しく、最初目にしたときには、新鮮な驚きがありました。コンコースの壁、柱からホーム、エスカレーターの壁まで、延べ六千平方メートルのスペースを広告で覆いつくすというのは、日本で初めての試みだそうですね。
今井 これだけのスケールは世界でも前例がないそうです。しかも、広告は五パーセントしか入っておりません。医薬品メーカーの広告なのですが、いわゆる商品広告とは違います。構内は主に、「ケミカル」「歴史」「町並み」の三つのゾーンに分かれており、「ケミカル」は分子構造モデルや化学構造式、「歴史」は薬の歴史や文化を説明した写真やイラスト、「町並み」はヨーロッパのカフェなどをデザインに取り入れました。毎朝、ちょっと憂鬱な気持ちで出勤している方が楽しい気持ちになったり、通学で駅を利用する子どもたちが「お医者さんになりたい」という夢を持ったり、もっと本を読んでみたいと思ったりするきっかけになれば、という思いが込められています。
――味気ない無機質な風景ではなく、人の感性に訴える空間になりますね。
今井 ええ。欧米には気軽に楽しめるミュージアムがたくさんあり、小さな頃から本物に触れる機会も多いのですが、日本ではミュージアムや博物館などが遠い存在になってしまっています。こうした思いから、「わざわざ出掛けなくても、生活の中で何気なく美しいものに触れられるようなチャンスを作りたい」と思いました。デザイナーたちがそれぞれコンセプトの違うもの――エネルギーだったり、車・音楽などをテーマにし、駅ごとに作っていけば、駅を回っているうちにミュージアムへ行ったことになりますね
――作品は夜中に作るのだそうですね。今井さんも一緒に?
今井 ええ、時々、嫌われない程度に参ります。紙の上で作り上げたデザインが本物にできあがっていく過程を一つひとつ見させてもらうのは、製作する方々の苦労もよく分かるし、自分でも少しは作ったりしておりましたから、もののできるときの緊張感と本物のできあがる充実感を、みんなと一緒に味わえるうれしい時です。最終電車が終わると入って、始発前に帰るという日々でした。
――深夜労働ですね(笑)。都バスのラッピング広告にも取り組まれるなど、今井さんのお仕事は多岐にわたっておられますが、日本では「環境デザイン」という概念もまだ珍しく受けとめられがちなのではないでしょうか。
今井 日本では、言葉だけは聞かれるようになりました。環境とデザインは別々のものとして理解されることがほとんどではないでしょうか。環境とは、身のまわりから、建物、道、住んでいる地域、国とどんどん広がっていくものです。また、「デザイン」という言葉はそもそも、ものすごく曖昧で、製品の設計をイメージされる方が多いかも知れませんが、ものだけでなく、人生の設計もデザインですから、もう少し大きく考えていただけるといいと思います。
――日本の場合、経済成長とともに、いかに生産性を高め、効率をよくするかといった「機能性」を重視しすぎた傾向があるかもしれません。
今井 十九世紀から二十世紀末にかけての物質文明の発達はまさしく「機能」の時代を象徴しています。でも、物質文明の発達による「機能」重視の風潮は、自然との調和を破壊し、私たちは、このままでは地球が滅びるかも知れないという危機感を持つようになりました。私は「機能美の創造」と申し上げるのですが、物質文明の先端技術をいかしながら、私たちの生活の中に連綿と続く精神文化の粋を融合させることが必要だと思っています。建物や空間が自然と調和して溶け込んでいくようなことを目指しています。借景し合いながら、新しい建物や道も作っていくとよいと思います。
――今井さんは、アメリカでデザインを学ばれたそうですが、学校ではどのようなことを教わったのですか。
今井 工学部・インダストリアルデザインの中の環境デザイン科だったのですが、学校ではデザインの世界の言葉、ツールを学びました。そのために絵の描き方、立体の造り方、デザインの基礎や、ファイバーグラスで型をとったり、ペイントをしたり、あらゆることをしました。
――ご自分でトンカチなさったんですか?
今井 もちろんですよ。バンドソウ・サンディング・ペイント等も使い、材料のことも工程もよくわかるようになりました。
――ご卒業後は、家具のデザインで有名なチャールズ・イームズ社に入られたそうですね。すごいですね。大変な難関だったでしょう。
今井 イームズのことも本当によく分からず、ミーハーな私は、オープニングでもないのに、アートセンターカレッジオブデザインの学長、ドン・キューブリー氏に頼んで私の作品を見てもらうチャンスだけ作っていただきました。必死な思いでしたが叶い、私の人生の二番目の幸せでした。
――二番目ですか?
今井 一番目の幸せは、三回り違う年で授かった娘の誕生です。
――そういうまっすぐに突き進むところがむしろ相手に受け入れられるんでしょうね。
入ってみて、どうでした?
今井 イームズから、古いとか新しいとかではなくて、本物が一番、という価値観を学びました。また、プロ意識も非常に高く、そのため、ほかのプロに仕事を任せたら、その領域には決して入ってこないという人でした。私はここで、一番最初の仕事としてIBMのニューヨークオフィスを手がけましたが、イームズは建築家としても一流ですが、見には来るけれども何も言いませんでした。そういう態度がはっきりしています。日本ではそういう面で、建築家とデザイナーの関係があいまいで、建築家が全部に関わろうとします。建築家は建築に関してはプロですが、町全体のデザインからいけば一部です。プロとしてお互いが尊敬しあう。上下でなくて横並びの関係で、自分の持っている一番得意な部分を分担して、みんなで作っていけばいいのだと思います。
――アメリカと日本の両方で仕事をなさって、その違いに戸惑うことも多かったのでは?
今井 日本に戻って十五年。私がアメリカで経験したことが、今、日本で新しいこととして語られています。一九七一年に渡米した当時は、見るものが全部新しくて、いろいろな発見がありました。トロントへ出掛けたときも、工事現場を覆う看板に、きれいな絵が描いてあって気持ちよく町を歩けるので、それを日本の人に言うと、当時は聞き入れてもらえないこともありました。今では当たり前になっていますけれども。そういうことがたくさんありますね。
――そういう感覚のずれは、何が原因でしょうか?
今井 主語の違い。「私」と「私たち」。私がアメリカで独り立ちしたとき、西海岸では古い町でクラシックな美しい町並みが残っているカリフォルニア州パサディナ市に、築百年、ビクトリアンの家のオフィスを設けました。偶然、住宅街で売りに出されていた一軒の家をきれいにペイントしリフォームしたのですが、一年ほどたったころ、パサディナ市からその建物が表彰されることになりました。個々の建物ではなく、街に調和して魅力を高めてくれたという趣旨でした。街の人に喜んでいただけたことが大変嬉しく思いました。
――まさに私たちの街ですね。どうも私たち日本人は、個人主義を間違ってとらえていますね。
今井 日本人は一つひとつのものを作るのは、とてもシャープに美しく仕上げます。『個』として作り上げられていて、一つひとつ足し算していく。材料や色彩、高さ、ラインなど目で追える周り全体を考えず、統一感がなくなってしまうんですね。主語がいつも「I」なんです。街をつくったり、ものをつくるときに、まず鳥の目で全体を上から見て、それから虫の目で細部をみる。隣近所を何も考えずにそこだけ立派に作っても不自然になってしまいます。そういう感覚が違うと感じます。私は何か作るときには、漠然と大きいところから発想して、細部に入っていきます。全体を遠目で見る人、本当のプロデューサーが必要ですね。
――それがトータルデザインということになるのでしょうね。
デザインで働く人の意識が変わる
――今井さんご自身がお仕事を通して、デザイナー冥利につきるのはどんな時ですか?
今井 デザインは手段であって、最終的な目的はデザインによる意識変化です。デザインすることで、その空間なりを各人が「自分たちの空間」として認識し、本当の豊かさを感じてもらえるような意識変化をもたらすことができたときが一番嬉しいときです。
――今井さんが手がけられた佐賀市役所の総合窓口は、県外からの視察も多く、デザインもあか抜けしていて、今では佐賀市役所の看板とも言われているそうですね。
今井 二〇〇一年の十月に開設したのですが、佐賀市役所の受付ロビーは当初、二時間半も待たなければいけない場所になっていました。これを、早く、機能的に、働く人も楽しく、行く人も楽しみになるような場所にしたいということを市長がおっしゃいました。そういう場所をつくろうと職員のみなさんとも話し合い、私はフロアの区画を区切るのに、分かりやすいシンプルな表示をつくり、コンピュータシステムの機能まで考えました。目的窓口が分かりやすいよう、証明コーナーは「紺色と『●』」、届出コーナーは「赤紫色と『▲』」など各窓口を色と形で表示し、フロア全体を色と形で分けました。それによって、これまでは手続きのためにいくつも窓口を移動していたのが、一つの窓口でほとんどの手続きが終了するようになり、待ち時間は三十分から四十分になっているそうです。オープニングの前日は作業が夜中まで続きました。一ヵ月後のある夜遅く訪ねた時、職員のみなさんは私が来るのを待っていてくださって、「こんなきれいなカウンターができて、私たち着ている洋服が似合うかしら、見てください」なんて。案内係の方も、自分たちのフロアを紹介するのが、とても誇らしくなったそうです。みんなの目が輝いて、仕事の姿勢まで本当に変わっていく。私の幸せな瞬間です。
――そうして人がどんどん変っていくのを見るのは楽しいですね。ものを創り出すために、そこを使う人も共に考える、そして参加する、というのは重要な視点ですね。
今井 ものを創っていく要素は三つあると思います。私の責任は三分の一です。なぜなら、その空間なりものを使う人が、どんなふうにしたいかということをインプットしてくれなければ通訳者は形を作りデザインができません。ですから、インプットする人たちの責任が三分の一。あとの三分の一はメインテナンス。人が使って、使い込んで、使いやすくなってくると、気持ちいいと思っていただける。できたままで終わっては、だんだん汚くなってしまいます。こうした三つの要素が揃って初めてものづくりが成功したことになるのだと思います。
――使う人が自分たちのものをどうしたいか考える、そして製作のプロセスに参加する、そうなると、自然とその場所、空間を大切にしますね。
今井 昭和アルミニウムの小山製造所というところでお仕事をさせていただいたときも、こうしたプロセスは大切にしました。この会社の敷地は一辺が七百メートルで十万坪もありました。その中にある四十年以上前の古い工場で、四種類のアルミ製品を造っていたのですが、工場の中に入ると、壁に「怪我をするな」「効率をあげろ」というような紙がペタペタ貼ってありました。でも、考えると、怪我をしたくてする方はいらっしゃらないだろうし、何か原因があるんじゃないかと思って、経営陣の方に、どういう理由でそういうことが起こっているのかを工場で実際に働いている人たちと話をしたいと申し入れました。工場の方たち、労働組合の役員の方も含めて二十人くらいに集まっていただいて。
――みなさん、こんな艶やかな方がいらして戸惑われたでしょうね。いったい何が始まるんだろうという雰囲気ですよね。
今井 「何しに来たんだろう」と本当に思ったそうです。私も「本当にきれいにしたいのだ」という話をいたしましたら、いろいろな話をうかがうことができました。工場の窓が割れていてそのままになっているということ、雨が降ると雨漏りがするのだけれど、それもずっとそのままになっているということ。それを経営陣の方たちと話をさせていただき、理由がそういうところにあるのかもしれないから、まずは割れている窓は直し、雨漏りも直すということになりました。そのあとで、もう一度、みなさんと話し合いをしました。そのとき、家族の方たちが来たときに、「パパはここで働いている」とお子さんに誇れますか、というと、みなさん「言いにくい」と言われました。外から見て、きれいな工場、さらに楽しい、自然に調和している工場にしようと思いました。
ただ、とにかく十万坪は広いので、建物の外と中と両方一緒に少しずつ始めましょう、と三年計画を立て、その会社の色として、ライトグレーとワインレッド、ダークグレーの三色を決めて、外観を会社の色で塗り、中はアルミ製品が四種類なので、四種類の色彩計画を作成して、色で何をつくっているか分かる、といったようにしました。まず食堂を始めることにして、色とサンプルを作ってペイントをしていきました。その段階では、一部の従業員の方だけが一緒にやってくれていたのですが、一ヵ所が塗れてくると、ほかの人もやりたいといってくるようになってきました。
また七百メートルの塀には、工場の製品であるロールボンドというアルミの飲料缶の蓋を一メートルぐらいに大きくして、従業員の方たちと一緒に色を塗って、名前を入れたものをくっつけていきました。
――従業員の方たちも楽しくなってくるのでしょうね。
今井 休みの日もボランティアでつくるほどです。また嬉しかったのは、そうしてきれいにしていった壁のある駐車場では、暴走族が遊んでいるようなことがあっても、まったく落書きをしないそうです。ほかのところに行くと落書きがいっぱいしてあるのに。これはやはり、本当に気持ちよいもの、美しいものは誰にでも同じように分かるということだと思います。
――今井さんは、物を作ることを通して人の心を起こしているんですね。
今につながる幼い頃の日々
――こうした美意識や感性は育った環境が影響すると思いますが、どういうご家庭だったのですか?
今井 よく、私に「アメリカに長くいたから、デザインができるんですね」とおっしゃる方がいるのですが、そうではないと思います。私は、岐阜出身で小学校二年生まで岐阜で過ごしたことが大きく影響していると思っています。家は祖父の代まで美濃紙の原料を製造販売しており、そこにはお茶やお花が生活の一部としてありました。ですから、母に良いものをたくさん見せてもらったり、周りの環境が私をこうしてくれたかなと思います。三歳のときにうちにピアノを買ってくれて、絵の先生をつけてくれました。母はいつも一流の先生を呼んでくれました。英語を最初に習ったときも大学教授でしたし。絵を描いてみると、なぜかいつも賞をもらえて、それがもしかしたら、今に至るスタートだったのかもしれません。
――お母様の目論見は大当たりでしたね。とにかく愛情をいっぱい注いでもらったのですね。しかも無償の愛。
今井 親が馬鹿みたいに子どもを思うことは素敵なことですね。子どもにとって、無償の愛を注いでくれるのは親しかないんです。だから愛しすぎることはないと思っています。親は子どもに対して無欲ですから、そういう人間がそれぞれにいるということが子どもが生きていく上での一番の基本かなと思います。アメリカでも、子どもはとにかく恥ずかしいくらい褒めてくれます。そうすると子どもが伸びてくる。子どもは白紙で何ができるかわからないのですから、それを押してあげるのが親だと思います。
――愛情をいっぱいに受けて育ったからこそ、街や建物のデザインが「私」ではなく「私たち」のものになっているのだと思います。「パブリック」という概念は、愛情と関係がありそうですね。今では、若い学生さんを育てていらっしゃる。東大の大学院で教えていらっしゃるそうですが、彼らにとっては、今井さんの教えは刺激的でしょうね。
今井 彼らはすばらしいですよ。もともと左脳はよく鍛えていて立派なので、私は右脳に働きかけています。そうすると、どんどん吸収し、アイディアもたくさん出してくれます。また、素直だから言ったことはすぐ行動に移す。日本の将来も捨てたものではないと思えることがうれしいです。最高よ。
――優秀な若者が感性も磨いて、素敵に育ってほしいですね。
今井さんのこれからの夢を教えてください
今井 日本のまち、北海道から九州・沖縄までに一貫したもっとわかりやすいサインシステムをつくりたいと思っています。交通信号の三色くらいにしてわかりやすいシンプルなもの。基本形を一本つくりたいです。もう構想はあるんですよ。
――楽しみです。今までの日本の学者は、やさしいことを難しく書いている、とよく言われますね。難解なことをやさしく書くことが必要な時代になりました。まちづくりのデザインもわかりやすくやさしくすることが今こそ大事ですね。若者を育てながらこれからの日本を、温かくおしゃれにデザインしてください。ありがとうございました。
(聞き手:社団法人日本フィランソロピー協会理事長 高橋陽子)
【取材を終えて】
いい意味で贅沢に育った人である。それが今井さんのピュアな無邪気さを作っている。
そして、生来の感性とアメリカで培われ鍛えられたプロフェッショナリズムが人の息づかいを感じるデザインを創り出す。実は、人見知りで人と群れることは好きではないそうだ。だからこそ、「WE」の空間とその中での距離感を『いいさじ加減』に見出したデザインが生み出せるのかもしれない。日本に帰って理解されにくい辛い時期もあったようだが、媚びずまっすぐにご自分の地歩を固めてきた自信と謙虚さが同居している。自らの生きざまと遊び心を投影した作品が、見るもの、使うものを、自由に愉快にしてくれる。次の作品が待ち遠しい。
【今井澄子氏 プロフィール】
いまい すみこ
1967年学習院女子部を経て学習院女子短期大学卒業。77年、アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン環境デザイン科卒業、学士。81年、UCLA大学院ファインアート科卒業、修士。世界的なデザイナーであるチャールズ・イームズ氏に師事した後、ロサンゼルスに事務所を設立。帰国後、92年に「今井澄子デザイン事務所」設立。IBMニューヨーク本社、サンフランシスコ日本総領事公邸、東京ドーム、豊島・直島など、これまでに国内外で多数のインテリアデザイン、トータルデザインを手がけている。
2005年09月05日
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「聴導犬」を知っていますか?
品川駅のホームで、仕事中の「聴導犬」に出会った。オレンジ色のユニホームを着け、ご主人の隣でチョコンとお座りの姿勢をとっている。
聴覚の不自由なひとに代わって家の中では、目覚ましやインターフォンや電話の呼び出し音を伝えたり、外出時には車のクラクション、ご主人の名前に反応するように訓練されている。
補助犬法ができて一年以上がたつが、まだまだ市民権を得られず、相変わらず入店や入場を拒否されることが多いそうだ。「他のお客様のご迷惑になりますので」。そんなときはすかさず「ちっとも迷惑じゃありませんよ」と一言、声に出してあげてほしい。



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